「朝読書の時間をなくして朝学習にしましょう。ドリルやらせて学力向上に繋げましょう。」
これ、自分は最後まで抵抗したんだけど、数値目標という旗の前には無力だった。
読書は異質な考えや知識を受け入れる行為。読書を習慣にすることでキレにくく学びやすい人格が作られる、そう思うんだけどね。— タビ@Webライター (@Tabisen_writer) 2019年3月10日
小学校によくある「朝読書」の取組。
自分はあれすごく意義があることだと思っています。でも最近は廃止の流れが強いんですよね。
朝読書の効果
朝読書廃止
学力と数字
といったキーワードをネタに、朝読書の必要性をあれこれ語ります。
小学校の朝読書の取組とその効果
一日の始まりを読書で
一応説明すると、朝読書とは毎日1時間目の前の15分程度を読書の時間にするというもの。
時間が来ると子どもたちは朝読書用に家から持ってきたり図書館で借りておいた本を読み始めます。
座って読む
喋らず読む
本の種類は問わない
シンプルなルールの下に、子どもたちは黙々と本を読みます。
ちなみにこの時教員も本を読みます。
教態(教員が自分の姿で教える)の1つとして必要なことです。
先生によって、担任した子供によって、細かなルールは微調整します。が、基本的にはこんな感じの取り組みです。
読書こそが学びの素地を作る
なぜ読書なのか。
それは読書という行為が「学びの素地」を子どもたちの内面に作るからです。
読書とは、自分の中に無かった「異質な考え、知識、思想」を自分の中に取り入れるもの。
本の内容を肯定するにしても否定するにしても、一度は自分の中に著者の表現を受け入れなければなりません。
「受け入れる」。
この行為は心に余裕がなければできないものです。
余裕がなければ異質なものは拒絶して終わります。
本から何かを読み取ることはできません。
言い換えれば、本を読む習慣を作ることは「異質なものを受け入れる素養を作ること」だと言えます。
つまり、「書物から学びを得る心」を子供の中に育てることができるんです。
静かな空間を体験する
一日の始まりに静かな空間がある。
やってみると、いかにこのことが重要なのかがわかります。
朝の会も静かといえば静かなんですが、あれはルール上仕方なく静かにしてる時間です。
一方で朝読書は最初こそルールとして静寂を求めますが、慣れてくると子どもたちは本を読むために自ら静かさを作ろうとします。
受動的でない、能動的に作られる静かさ。
自分はクラスの一体感とかそういうのはそんな好きでもなくあまり求めないんですが、自発的に生み出されるチームワークってのは悪くないものです。
子どもたちは自分たちで作り出すその静寂に心地よさを感じるようになります。
この辺も必須ってわけじゃなく、受け持つ子どもたち次第で変える部分はありますが。
小学校の流行りは朝学習。朝読書は追いやられ
数字重視の教育が朝学習の必要性を後押しする
体験談を1つ語りますね。
冒頭のツイートにもありましたが、自分が最後に勤務した学校では朝読書の文化がありました。
しかしその文化、ある年に廃止されたんです。
学力向上のために、朝読書の時間を使って朝学習をするってことで。
毎朝その時間に国語算数のプリントやるんです。
全学年。
なんで全学年かと言えば、学テの出題範囲が全学年だからです。
小6の4月に行われる学テで「わが校」が「わが地域」が少しでも上位に行くために、この朝学習の取組を行うことが決まったんですね。
自分は過去の勤務校でもその勤務校でも朝読書の意義を理解したうえで信念もってやってましたので、当然反対しました。
まぁ自分の性格上正面衝突のバトルはできないんですが。
朝読書の良さを淡々と説明して会議の場で頑張りました。
全くの無駄でした。
トップダウン、数字重視の流れに抗うことはもはやできませんね。
英語問題が0時間目を求めている
その朝学習もまた次の波に取って代わられるかもしれません。
その波とは高学年の英語問題です。
既に限界まで授業を詰め込まれている高学年の1週間に、あろうことか「英語」の時間が新しく加わりました。
英語を入れるために削られた時間はありません。
純粋に週の勉強時間が増えました。
でもその英語を詰め込む時間はもうどこにもなかったんですね。
既にいっぱいいっぱいでしたから。
そこでどうするか。
朝学習の時間に英語を少しずつやることで、45分を分割する形で週の英語の時間を確保するんです。
自分はその件はこの目では見ていません。
いよいよ先行実施が始まるという状況の中退職しましたので。
その後どうなったのか。予定通り朝学習を潰して英語の時間にしたのか。
はたまた違う案が出たのか。
わかりません。とりあえずこうなってしまうと朝読書なんてのはもはや遥か忘却の彼方です。
村おこし…
「〇〇町では教育に力を入れて朝学習の取組をして学テで全国平均以上のうんたらかんたら」
これ言いたいから朝学習。
これ実績にしたいから学テ全振り。
やっぱ公務員に成果求める流れはだめですよ。
教員も、自治体職員も。
子供の姿が見えなくなっちゃうんです。
小学校教育における学びとは?学力とは?
朝読書が育てるのは独学の心
朝読書が育てるのは「異質を受け入れる素養」。
異質を受け入れ自分の中で咀嚼することができるようになれば、それは師をもたずとも独力で本から学べるということ。
学校が子どもたちに教えるべくは、目先の点数の取り方なのでしょうか。
自分自身の力で学ぼうとする姿勢、それを可能とする素養を育てることこそが初等教育の使命なのではないでしょうか。
生きる力とは
生きる力。いい目標です。
自分で学ぼうとする力、学べる力というのは生きる力そのものだと思いますよ。
目先の点数を学力と見る流れがありますが、子どもたちの人生を豊かにする学力というのはそこには無いんじゃないかなぁと思うんです。
業界から逃げた自分が言えた義理ではないですが。
こちらは子育てカテゴリで書いたもの。教員ではなく親の視点からの文。
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