教員時代、追い詰められて自殺を考えたときの話

自殺する人は「他に選択肢を見いだせなくなった」という精神状態に陥った結果自殺を選ぶんじゃないか。そう自分は考えています。

少しだけ自分語りをします。内容は脳内が自殺で支配されるに至った体験とその原因について。

 

教員時代の最後の2年間。自分が職場で置かれていた状況。

仕事量が多いことを訴えた時は、

「一家の大黒柱なんだから甘えたこと言うんじゃない!」

「しっかり働かなきゃな!」

と発破をかけられる。

 

上司の伝達ミスで自分に大量の業務が降りかかり、「もう無理です」と吐露した時は、

「それでも食いしばって我慢しなきゃならないよね。家族がいるんだからさ!」

と諭される。

 

当時の自分の状況は、

  • 多すぎる仕事
  • その仕事内容が必要と思えないもの
  • 失敗すると怒鳴られる
  • 上司の価値観から外れると怒鳴られる
  • ヘルプを出しても大黒柱、家族という言葉を引き合いに出される

というものでした。

仕事内容には納得がいかない。さらには「いつ怒鳴られるかわからない」という心理的安心感のなさ。我慢しがちな自分が我慢しきれずに弱音を出した時も「がんばれ」の一言で終わる。

そういう状態でした。

 

ここで自分の思考回路は次のように繋がりました。

「自分は仕事ができないだめ人間だ」

「自分のような若者はこの先更に忙しくなるらしい」

「若者がこれからの教育を背負って立たなければならないらしい」

「でも自分には上司達が求める仕事はできない」

「でも自分は家族を養わなければならない」

「ではどうすれば無能な自分にも家族を養えるか」

「死んで保険金を残して当面の生活費を作りあとは妻に任せよう」

 

この通り。

一度つながってしまったこの思考回路は、その後も必ず脳裏に浮かびました。

やがて、この考えは実際に自分の口から出てしまうようになりました。

怒鳴り散らす上司に対し、「殺せ!」「俺が死ねば丸く収まる!」

と泣きながら吐露するようになりました。

ツイートにある通り、仕事を辞めて他の仕事を探せばいいはずなのに、なぜこのような事態に陥ったか。

  • 教員一筋だった自分には今さら他の仕事はできない。
  • 未来が見えない。

理由はこの2つ。

要は、他の世界を知らなかった。狭い価値観の中で生きていた。

自分は運良く、他の生き方や価値観に触れることができ、今は教員を辞め違う生き方をしています。

まだ生きています。

 

一気に書き出したのでイマイチ文章になっていないかもしれません。

退職して半年弱。

ようやく少しずつ当時の心境を書こうという気になれました。

 

このブログは何かと方針に迷い続けているブログです。

追い詰められた教員に逃げ方を伝える。

追い詰められた教員に逃げた先の生活を見せる。

それが自分とこのブログの役割なのかなぁと、改めてそんなことを考えていました。

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