小学校教員って子どもから好かれてナンボだと思うんです。
小さな子どもって何だかんだ「好き嫌い」で大人の言うこと聞くかどうか判断してるんですよね。それこそ「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」の世界。
教員1年目と12年目、そして離職した今も変わらずこのことは本質だと思ってます。
小学校教員に好かれる努力は必要。悪いことじゃない
好かれてナンボ。これを言うと必ず反論はあります。
「あの先生は人気取りばかりしている」
「教員の本質は人気じゃない」
「楽しけりゃいいもんじゃない」
そう言いたくなるのはわかるんですが、それらの意見って「好き」の本質が見えていないと思うんです。
子どもに好かれることがどれだけ難しいか。
子どもに好かれ続けることがどれだけ難しいか。
様々な人格をもった子供の集合体である学級においていかに多くの子から嫌われずにいられるか。
それってただ面白いことしてるだけじゃ到底達成できない世界なんですよね。
子供から教員への「好き」は信頼に紐付けられている
子供が先生を「好き」になるそのウラには「信頼」が紐付けられています。
子供たちはその先生がお笑い芸人だから好きなんじゃないんです。その先生が信頼に足る人物だから好きなんです。
助けてくれるから。
理解してくれるから。
止めてくれるから。
守ってくれるから。
教えてくれるから。
子供たち一人ひとりがそれぞれの視点から担任を見て、信頼に足ると判断したからこそ好きになるんです。
その信頼に応え続けるからこそ嫌われずにいつづけることができるんですよ。
新人小学校教員時代に人気を失った話
体験談を一つ。
自分が初めて担任として教壇に立ったのは22歳の秋でした。
最初は好かれましたよ。若い先生って好かれるんです。
ですが、一週間もすれば子供たちの心はあっという間に自分から離れていきました。
好きになってもらうことはできましたが、好きでい続けてもらうことはできなかったんです。
若い先生って大体こうなります。
知識も技術も不足しているので。
子供たちの望む教員像を示せないんです。
困っている子を救えず、
発達障害の理解も足りず、
喧嘩を収めることもできず、
教え方も下手で、
そんなだから、子供たちの心は離れていくんです。
自分はこの時点で知識と技術の無さ、教員としての能力の無さを呪いました。
ここが原点でした。
物凄く本を読むようになったのですが、それはただただ子供たちへの申し訳なさからです。
当時はどうすれば離れていった子供たちの心を取り戻せるか、それだけ考えていました。
細かく言えば児童理解や授業技術など色々なジャンルを勉強したのですが、
まとめて言えば「どうすれば好かれるか、好かれ続けられるか」を目指していたのだと思います。
小学校教員が好かれるため、好かれ続けるため
繰り返しになりますが、若い先生って最初はめっちゃ好かれます。
100%の状態からのロケットスタートです。
そしてそこから少しずつ、というかもの凄い勢いでそのパーセンテージが落ちていく感じです。
なので。
最初にもっている「100%の好き」を少しでも失わないような立ち振るまいをしていけば良いんじゃないかなと思います。
お笑い芸人ではなく。
何をもって子供が大人を好きになるのか、嫌いになるのか、
そこを考え続ける感じです。
静まり返った放課後の教室で、子供一人一人の顔を思い出しながら、孤独の中で自問自答し続けるんです。
あれこれ手を伸ばしてしまいたくなる職業ですが、原点があるとすれば「子どもに好かれるための努力」だと思います。
迷ったときや悩んだときはこの原点に立ち返る感じで。
小さな子は結局のところ好きな先生に信頼を寄せるわけで、
若い先生は「好きの維持」が
歳いってくると「好きになってもらう」が難しい。
で、それを叶えるために本を読むと。
人に好かれるって本当に難しい勉強だと思う。— タビ (@Tabisen_writer) 2019年4月11日
コメント