【読書メモ】リラの花咲くけものみち

リラの花咲くけものみち書影

江別の蔦屋書店で入り口に平積みされていたので手に取ってみました。

江別市のランドマークである酪農学園大学が舞台になっているとあって、面白い読書体験ができそうだなぁと買って帰りましたが、実際没頭してあっという間に読んでしまいました。

物語の要素(独断&偏見)

  • 学生生活
  • 道外からの北海道生活
  • 恋愛
  • 成長
  • 獣医師
  • 寮生活
  • 不登校
  • 祖母
  • 北海道江別市
  • 酪農学園大学

感想(ネタバレ前提)

主人公である聡里の世界に少しずつ色彩が戻っていくような物語。読み始めはグレー。大学入学に伴う引っ越し作業という、人生の中でも特に明るく希望に満ちた瞬間であろうその日が舞台なのに、最初の10ページぐらいからは陰鬱と不安を抱く人物像が浮かびました。

様々な事情からそのようなスタートラインに立っていた聡里が大学生活の中で様々な影響を受け、だんだんと心に芯を立てて自分の人生を取り戻していく流れがこの物語の美味しい部分だと思います。それこそ読みながら脳内に思い浮かべていくであろう聡里の世界に灰色から少しずつ色が増えていく感じ。

江別の街に土地勘があればより具体的に情景を想えますが、別に知らなくても読んでて問題はないです。メインはあくまで聡里の目から見える小さな世界であり人間模様なので。言ってしまえば、架空の大学さえ設置してしまえば北海道のどの街でもある程度成り立つ物語。

それでも江別暮らしの身としては、知った国道や駅名、街のランドマークである酪農学園大学の具体的な描写が出てくると嬉しいもので。江別に縁のある方であればきっと刺さる一冊だと思います。

だんだんと幸せになっていく聡里の生活を見ているのが楽しい。だから続きをどんどん知りたくなる。そして唐突気味に訪れる物語の終わりに驚き、もっと続きはないのかな?と願ってしまう。そんな感想です。

続き、読みたいなぁ。

引用メモ

「そう。本気で何かを目指すというのは、地道な努力を積み上げることなんだって。人知れずこつこつと。こうありたいという理想を持って、すべきことを迷いなく続ける。それができる人だけが夢を叶える資格を持てる」

コツコツと取り組む。これは学校現場でもよく使われる表現であり子ども達に求める姿でもあります。でも、そこからもう一歩だけ言語化を進めるならば、「こうありたいという理想を持って、そこに向かってのコツコツ」になるんだなぁと。目標と継続。継続こそ美徳と扱われがちな学校ですが、何事もまずは目標設定こそがキモなのでは。

物語冒頭の時点では理想目標を持てていなかった聡里が学生生活の中で様々な理想に触れ、最終的に一つの生き方に繋げるという過程には、人が目標を見出すことの難しさを考えさせられます。

挑むとは、戦うとは、どういうことか。心底手に入れたいものを、自分の限界を超えてでも努力して手にいれる。それが挑戦なのだと大学受験を通して学んだ。

理性と諦めというリミッターを扱って確実に生きる日常の中に、それらを外して一か八かを戦う瞬間が人生にはあるもので。受験、ビジネス、恋愛、さまざまな場面で。

「そう。私の考える幸せとは自由と安定、両方を得ることなの。最近わかった」

経済力が弱くなったと同時に自由の狭まりを感じた経験があります。教員を辞めてその日暮らしをしていた時期。自由を得たようで実は何も自由ではなかった。カネこそが自由を生み出す源であり、自由という時間を彩る絵の具でもある。自由だけじゃいけない。安定も揃えて初めて本当の自由を感じられると思っています。

「還暦を迎えたいま思うのは、時間をかけて力を尽くして築いたものだけが、最後に残るってことよ。仕事もそうだけど、人との関係にしても同じことが言える。

何者かになりたい。そう誰もが焦っている時代なのではないでしょうか。自分に何ができる?自分は何を持っている?資質は?才能は?積み重ねたものは?それを知りたければ、自分が何に時間を使ってきたのか、何に没頭してきたのかを振り返ってみることが、自分という店の棚卸しをする第一歩なのかなと思います。

「無理しなくていいと思うよ。もし自分にできないことがあったら、できる人に代わってもらったらいいんだ。そのかわり、自分ができることは他の人の分まで頑張る。それでいいんじゃないかな」

至言だと思います。何でも1人でこなさなきゃって感覚に陥りやすい小学校教員は、子ども達にも同じものを求めてしまう。助け合いは甘えを生んでしまうと。何でも1人でやらせなきゃいかんと。でも思うんですよね。日常の授業から別に助け合っての進み方でいいんじゃないかなぁって。せっかく集団で教育を行うのだから、助け合いとか長所の発揮のし合いとか、そういう感覚を養いたいと思うんです。大人達の社会はそれこそ適材適所、資質能力に応じて神の見えざる手によって社会の各所に適切に配置されているわけですし。「迷惑をかけない」ではなく、「迷惑をかけている分、他のところで役に立つのだ」タイの格言でしたか、この感覚が大切なのではと。

魔法でもかかっているのか。好きだった人の言葉はどれだけ時間が経っていても、いま耳にしたのと同じ強さで胸に響いてくる。そして自分を動かしてしまう。

わかります。恋愛を通して心に刻まれた言葉というものは、何十年経とうと耳からも脳からも消えません。

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