学芸会の劇の配役ですが、担任が決めてしまった方が良いです。
学年や子供達の雰囲気にもよるとは思いますが、基本的には担任裁量でいいかと。
今日はそんなテーマであれこれ喋ってみますね。
劇の配役決めは担任主導で良い
劇の配役決めを担任主導で行う理由は次のとおり。
- 劇指導の難易度が下がる
- 子供の長所が生かされた劇になる
- 子供の負担感が少ない
- 不登校を防げる
総じて言えるのは、学芸会単体ではなく、もっと広く1年間を見通した判断をしよう、成長を見ていこうという考え方をすることです。
劇指導の難易度が下がる
劇の得意な子に重要な役を当てることで、劇が完成するまでの道のりがイージーになります。そりゃそうだ。
苦手なことを頑張ってできるようにする。それも良いんですが、それって普段の授業の中でやりゃ良いんです。
学芸会では得意な子には目立ってもらう、苦手な子にはできる範囲で自分なりのハードルを超えてもらう。それで良いですよ。これはインクルーシブ教育の理想にも準じるものです。
子供の長所が生かされた劇になる
担任主導で配役を決めると、当然それぞれの役にはハマり役が当たります。
セリフの覚えが良い、肝が座っている、
そういう視点からも配役は選びますが、同じぐらいに大切にしたいのが「その子の性格や雰囲気に合った役」を選ぶということ。
担任は子供達一人一人をそれなりに理解していますから、性格にピッタリ合った配役になります。
ハマり役だらけの劇は単純に見ていて面白い。子供達の長所が存分に生かされ、保護者の皆さんも喜んでくれます。
田舎の学校はだいたい1学年1クラス。ずっと同じメンバーで育ってきているから保護者も学年の子供達の人となりを理解しているんですよ。ハマり役であることを心から理解し楽しんでくれます。
子供の負担感が少ない
得意な子に重い役を、苦手な子に軽い役をやらせるため、子供達一人一人の能力のミスマッチが減ります。
ハマり役になるよう配慮されているため、役になりきる難易度も低いです。
キツい練習になることもなく、子供自身が「うまくいかない、どうしよう」と悩むことも少なくなるでしょう。
不登校を防げる
子供が不登校になるきっかけの一つに、「過度の負荷」があります。
行事や委員会、児童会、参観日などで大きな役割が当たってしまいそれが自分のキャパシティを超えてしまうと、負担を回避するために子供の心が「逃避」を選んでしまう危険があるんです。
他の学年でそのような事態が発生するのを、今までに何度か見てきました。
子供に負荷が全くかからないのも考えものですが、かと言って強すぎる負荷をかけてしまうと子供を追い詰めてしまうことになります。
その子に適したちょうど良い負荷をかける、それによって成長を促す。
学芸会における「ちょうど良い」は、担任主導で設定してあげたいものです。
劇の配役を担任が決めるデメリットとその対処
担任が配役を決めることにはデメリットも当然あります。
大きなものでは「保護者対応」。そして「子供達の自己有用感への配慮」でしょうか。
保護者には配役にこだわる人もいる
「どうしてうちの子が主役じゃないんですか?」
劇指導をしていると、結構こういう声が聞こえてくるんですよ。都会の保護者、もしくは田舎でも転勤族として一時的にその土地に住んでいるという方に多い傾向があります。
我が子を多く見たい。他の子よりも活躍してほしい。あの子ならきっとやり遂げるはず。やればできるはず。
その心境はわかります。多分ですが学芸会練習にめっちゃリソース割いて全身全霊で猛練習したら誰でも主役は務まる。
でもそんなリソースはどこにもないし、リスクも高すぎます。上の方で語った不登校、子供の精神的負担のようにね。
子供の自己有用感に差が出てしまうかも?
劇でめっちゃセリフが多く、日々の練習でも存在感がどんどん大きくなる主役の子。それに対し、脇役になった子は45分の練習の中でも自分のために使われる時間は少なくなりがちです。
「自分はこの劇で何の役に立っているんだろう?」
「今年の学芸会は自分の出番じゃなかったな」
子供がそのような心境になってしまうと、何のために行事があるのかわからなくなります。どうにか配慮したいもんです。
対応:学芸会全体の中で子供が活躍する場面を見つけさせる
学芸会は劇だけじゃありません。
田舎の学校であれば音楽発表やダンス発表なんかもやったりします。
学芸会に来るお客さんに見てもらうために、図工の制作物を用意して教室や廊下に展示したりもします。
高学年になれば学芸会を運営する側として、放送係や用具係などの係活動にも取り組みます。
そのことを子供達と保護者に認識してもらう、というのを自分は担任を務める時に大切にしています。
「今年の学芸会はこれとあれとそれをやるよ!」
「自分が一番力を発揮したい場面をイメージしてみてね」
こんな感じで、学芸会の準備が始まる頃に子供達に意識づけします。紙に書かせても良いです。
するとほとんどの場合、子供達は自分の得意分野を言ったり書いたりします。子供って好きなことやってる時が一番成長するんですよ。あとは担任ができるだけ子供達が活躍したがっている場面でその子にスポットを当ててやりゃ良いんです。
劇であればセリフの多い役を選ぶ際の参考として、音楽であれば重要な楽器、ダンスなら立ち位置、図工であれば目立つ展示位置…
これら担任の操作は、もともと子供達の想いに起因するものです。子供達は「ひいき」だと感じずに受け入れてくれますし、保護者にもある程度説明がつきます。
対応その2:根回し&オーディションによる選考
保護者がかなり難しい学年にいる場合、保護者が納得するための「競争原理」が必要にならざるを得ないケースもあります。
その場合は主役をやりたい子達でオーディションをすることになるのですが、子供達の立候補を待つだけだと、最終的な配役が許容範囲に収まってくれない可能性があります。
そこで根回しをします。
担任が子供達にそれぞれ密かに声をかけ、想定した子が立候補に出てくるように根回しするんです。
これをやらないと、劇指導の難易度が爆上がりして本来大切にしなければならない授業がおざなりになる可能性があります。
劇のクオリティも上がらずに子供達に達成感が湧かず、担任は「劇を作れない指導力不足」のレッテルを管理職や保護者から貼られてしまうかもしれない。そうなるとその後の学級経営の難易度がめっちゃ上がります。それは避けたい。
学芸会はすべての子にちょうど良い負荷と自己有用感を
一人一人の適性を見てそれぞれちょうど良い負荷をかけてあげる。
子供が「ひいき」と感じないよう学芸会全体の中で輝く場面を用意してあげる。
そういう視点で見ていくと、学芸会が意味のある行事になっていくのかな〜と思います。
昔は結構子供達に努力根性精神論を強いてしまいましたが、最近はちょうど良い学芸会ができればもうそれで良い感じですね。歳とったなぁ。
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