逃げログ
パワハラ離職後にやった行動、学び、気づき、思い。

【プロフィール】おかしくなってしまった後の人生

 

はじめまして、タビ(@Tabisen_writer)です。

WEBライター、学童保育支援員(臨時職員)、ブログ運営の3つを収入源にして生活してます。

書き手の背景を知ってもらうことで今までに書いた記事達をよりリアルに捉えてもらえるかな?と思い、自分の半生と思想を晒してみることにしました。

長い文章なので、お時間のある時に読んでみてください。

現在

WEBライターとブログ

35歳。2018年9月時点での自分の状況です。収入や行なっている活動について。

仕事&収入

2018年6月から始めたWEBライターは鳴かず飛ばず。クラウドソーシングで1円案件やってたら時給が酷いことになってたんで、今はクラウドソーシング以外の受注先を見出そうとあれこれ活動中。月収1万。

2018年9月から始めた学童保育の支援員は職歴を生かしつつ頑張ってますが、いかんせん心も体もついてきません。とりあえず学童のなんたるかを勉強しながら3月までの任期を全うするつもり。その後は微妙です。月収20万。

2017年7月から始めたこの雑記ブログ「逃げログ」はあれこれ迷走しながら160記事を格納しています。元はてな民。今はワードプレス。このブログのほかにテーマを特化させたブログも2つ運営中。月収2万。

 

ブログ活動のテーマ

おかしくなってしまった後の人生をどう歩くか

これが逃げログの抱える大雑把なテーマ。

自由になりたい

この状態からでも幸せを手にしたい

人生を少しでも自分向きに最適化したい

そんなことを企みながら、日々3つのブログに記事を書き続けています。

↓近況を語ってるカテゴリ
教員やめた後の人生

 

過去

教室の黒板

生い立ちを書きました。履歴書でいう学歴と職歴にあたる部分です。自分のバックボーンを詰め込めるだけ詰めました。逃げログの記事は、これらの経験を通して手に入れた考え方(フィルター)を通して文章に吐き出されています。

出生〜小学生時代

生まれは昭和58年。北海道の地方都市でサラリーマンの父と幼稚園教諭の母の間の長男として生まれました。

小さな頃の自分は色々と落ち着かない子だったようです。暴力性は無いものの、ぼーっとしたり自分の世界に旅立ってしまう傾向があったとのこと。34歳でADHDと診断されるまで、この性格は人生に強く影響していくことになります。

幼稚園の年少組に入れることをやめた母は、自分をヤマハの3歳児ランドという所に1年通わせました。今でも自分は音楽が好きなんですが、素養はそこで身についたんだと思っています。

年中からようやく入った幼稚園では集団遊びをせずに1人でヤギと触れ合っていたんだそうな。途中、世話好きな女の子に目をつけられ、それ以降は大体その子と2人で色々遊んでいたようです。仲良くなる相手に女性が多いという傾向もこの頃から変わっていませんね。

 

小学校は転勤族だった父の仕事の都合で2回転校。その経験から「周りに合わせる、我慢する」パーソナリティが形成されました。通った小学校は全て都市部。大人の助けを借りるのではなく、子供社会の中で自分の立ち位置を見つけなければならない世界です。

小学校の授業は断片的に記憶があります。「まともに授業を受けていなかった」という記憶として。ポカーンと違うことを考えていました。「マリオワールドのマントマリオは何故いつまでも飛べるんだろう?」とか授業中に考えていた記憶が何故か残ってます(笑)。

それでもいま自分に大卒、元教員という基礎学力が残っている理由は100%母の努力です。食卓で毎日やらされていた夜の時間の勉強で、自分はどうにか初等教育段階の学力を落とさずに身につけることができたのだと思っています。

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中学〜高校時代

一学年8クラスある地元の公立中学校へ。部活は美術部の幽霊部員となり、相変わらず授業はまともに聞かず(怖い先生以外)、とりあえずゲームばかりしていました。

成績はクラスで2番目か3番目程度。同じ学年が自分ともう1人の女の子しかいないという規模の小さい塾に入れられていました。そこでの少人数指導によって自分の学力は保たれていたのだと思います。勉強は嫌いでしたがとりあえずその子と話している時間が楽しくて塾に通っていました。恋ですね。今はもう連絡も取っていません。

強制的にやらされた勉強以外、自分が自発的に行った勉強時間というのは全くありませんでした。大人の目から上手に隠れてはゲームボーイでポケモンやドラクエモンスターズばかり進めていました。「興味のあるもの以外努力できない」という性格はこの頃から現れています。

 

高校は札幌市内の公立進学校へ。塾通いが無くなり、母も勉強について口を出さなくなりました。

  • 人生で初めて運動部に入った
  • 0点を取った
  • 自分の成績は興味の有無で大きく変わるということに気づいた

こんな経験を獲得しつつ高校は無事卒業。

大学受験に向けた勉強にはもちろん全く身が入らず、そんな自分が努力しなくても行けそうな地元の教育大学へ進学しておくことにしました。大学受験に向けた総勉強時間はおそらく10時間未満。控えめに言ってクズです。

国立大学ということで親に経済的な負担もかけないし、まーこれでいいかと。人生に関わる判断をテキトウにやってしまう性格がそろそろハッキリ出てきた頃ですね。

努力=点数であるセンター試験の結果はC判定。落ちるだろうけどとりあえず受けようかと目的の大学の2次試験を受けたところ、出題された問題が暗記を必要としない変な問題ばかりで面白く、相性が良かったのか奇跡的に合格。

念願だった実家脱出を叶えました。

 

大学時代

ADHDが人生を崩しやすい第1の壁、大学生。自分が4年で卒業できたのは本当に運と環境と友人の存在があったから。

 

初めての一人暮らしということで、欲望の赴くままに生活しました。

  • 部屋はゴミでまみれ
  • 欲しいものはすぐに買い
  • 夜中までゲームを続け次の日は寝坊し
  • 課題はギリギリまで手をつけず
  • そして間に合わないとすぐに諦め
  • 接客系のバイトはうまくいかず

 

典型的な堕落生活を送りました。

教員養成系の教育大学ということで、周りの人間は皆まじめな優等生。「まじめが一番大事だよ!」「しっかりやらないと!」「ふつうにやろうぜ!」「チームワーク大事にしよう!」

そうか?と思うような価値観が多くてかなり微妙でした。子供の頃の転校経験が「周囲に合わせる」メンタリティを作ってくれていたことから、なんとか笑顔でついてはいきましたが。

それでもどんな場所にもミソッカスはいるもので、自分と似たようなメンタリティをもつ人生の友人2人と出会うことができ、何の間違いか恋人もでき、総計2000時間以上を費やしたスマブラ仲間3人もでき、

わりと楽しく大学生活を送っていたと思います。

 

嫌いだったのは教育系の講義。

元教員の自慢話を延々聞かされるのが嫌でした。

 

好きで没頭していたのはプログラミング系の講義。

卒業単位に全く関係ないのに100%好奇心で受けていたものです。

出席とかどうでもよく、内容を理解して課題を提出すればおkという風潮が好きでした。

周りの人間に比べ自分がやたら閃きや飲み込みという面で突出していたようで、教えてくれていた教授からやたら気に入られていたということもこの講義が好きだった理由でした。

 

大学卒業後はしばらくフラフラし、その後何故か教員になりました。

「いや普通にIT系の門叩く話の流れだったろそこ!」

と今からでもタイムゲートを通って当時の自分をぶん殴ってやりたい感じです。

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小学校教員時代

採用試験はいつも面接で落ちまくっていたので、だいぶ長いこと臨時採用教員を続けていました。とは言っても北海道の臨時採用教員は正採用とほとんど待遇が変わらないので、わりとのんびり悠々自適に暮らしていました。

教員の仕事は面白いですよ。

自分で勉強して自分で実践して自分で反省して自分で改善する。

この感覚が「何でも自分一人で進めたい」という自分の適性とマッチしていました。自分が勉強した結果が子どもたちの笑顔となって表れる、その手応えが教員という仕事の醍醐味だと思いました。

北海道のあちこちを回り、その土地その土地での生活を楽しみました。バイクに目覚めたのもこの頃。無駄に北海道一周とかしてましたね。1人で。

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そんな自分もある年ついに採用試験に受かり、晴れて正採用教員になりました。

配属されたのは臨時時代に一度務めたことのある学校。

勝手を知ってる人間だということで、いきなり校務分掌(学級経営以外の学校全体を動かす事務仕事、激しく面倒、どうでもいい)のかなり重要なポストに置かれました。

先進的な研究をする指定校になっていたことから管理職の要求はめちゃめちゃ高い。また管理職が知らないところで何かが進められるととたんにブチ切れて釣り上がった目つきで怒鳴り散らすというキャラ立ちまくりの管理職だったことで、かなり心理的安全性の低い状況で仕事をしていました。

 

上が言うことはコロコロ変わる。

上が望む答えを提示しないとブチ切れられる。

仕事は山のように積まれる。

学級経営にまで手がとどかない。

学級経営を優先して校務分掌を適当にやるとブチ切れられる。

そもそも校務分掌は苦手だ。

チームで動くのも苦手だ。

自分にはこれまで身につけてきた知識技術がある。

でもそれを使うことは許されない。

みんなで(というか偉い人達で)決めたやり方を忠実になぞらないと怒鳴られる。

やり方次第で救えたはずの子どもたちが手からこぼれ落ちていく。

そのこぼれ落ちた子供を理由にまた怒鳴られる。

 

 

ある日、涙が勝手に流れるようになりました。止まらなくなりました。

校長室に監禁され管理職に怒鳴られていると無意識に手を掻きむしるようになりました。

目からは涙。手からは血が流れました。

そして口から流れ出ようとしていた「死にたい」「殺してくれ」という言葉をいよいよせき止めることができなくなっていました。

何を考えても結論が「自分の死」になってしまう狂った思考回路に陥っていました。

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嫁とも色々話し合った結果、正採用教員になったばかりでしたが退職することにしました。

小学校教員という仕事は本当に楽しくて充実していて好きでしたが、今はもう二度と小学校教員はやらないつもりです。

自分の人生というか心の大部分を占めていたものが無くなりました。

心にぽっかりと穴が空きました。

 

小学校教員退職後

北海道から関東に引っ越ししました。嫁の希望でもありましたし、自分も過去を全て忘れてもう一度人生をやり直したかったので。

そして冒頭でお話しした「現在」に至ります。

 

未来

 

進もうとしている方向

目標はブログ、ライター等WEB収入方面への特化。

理由は「組織に属してコミュニケーションを武器にする働き方はもはや今の自分には不可能だ」と実感したから。32歳〜34歳までの間に受けたパワハラと多忙が自分の中の何かを壊してしまいました。故にいま勤務している学童保育も長く続きそうにありません。

現在、WEB収入のマネタイズはアドセンスとAmazonアソシエイトが中心。今後はASPに手を出していこうと考え、現在はアプリ系ASPから収益を発生させ始めたところです。

 

「何もしない」をしたい。

のんびりと好きなブログを書きながら子供の成長を見ていたい。

 

手段として、WEB収入を太くしてこの人生を自分の能力&性格に最適化されたものにしたい。

おかしくなってしまった人生のその後の歩き方を見つけたい。

そんな感じで未来を見ています。

 

職歴

北海道の臨時採用教員を10年

北海道の正採用教員を2年

その傍らブログ運営1年

WEBライター半年

現在は臨時採用の学童保育支援員として都内某所で勤務

 

資格

教員免許(小1種、中1社、特別支援2種)

自動車・中型バイク

 

住所

都内のどこか。出身は北海道。

嫁の海外志向が強いので気づいたらどっかすごいところで暮らしてるかも。

 

このブログについて

過去の体験、現在の体験が材料。

そこにこれまでの人生で身につけた「視点」をフィルターとして通し、文章を完成させています。

こういう人生ですので教育、転職、発達障害あたりに偏り気味ですが、基本的にネタは自分の体験全てですので幅広いジャンルを手がけています。

 

わりと色々あった人生なので、ものを見る視点考える視点は多種多様に備わりました。

読んだ人になにかの気づきや答えをお渡しできるブログでありたいと思っています。

連絡される場合はブログ最上部とサイドバーにある「お問い合わせ」からお願いします。

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