年度途中であろうと日本全国どこであろうと突然新しい土地に飛び込んでいく臨時教員。せっかく住む街ですから、できることなら住んだ街で楽しく過ごしたいですよね。
このページでは、縁もゆかりもない田舎町で自分がどう社会に溶け込んだのかを体験談として語ります。
臨時採用教員としての新しい土地への赴任は苦じゃなかった
自分は若い時代にそれなりの期間臨時教員をやっていました。学校数で言うと8校、教員を始めてから住んだ自治体の数は6市町村です。
これまでに繋がってきた多くの臨時教員仲間からは、新しい街に馴染めないという悩みをよく聞きました。中にはノイローゼになってしまったなんて人もいます。
そんな中、自分は新しい街での生活を特に馴染めない、つまらないと思ったことはなく、どの赴任地でも結構楽しく過ごせていました。
スポーツ系のサークルに参加していた
自分の得意はバドミントン。これまでに赴任した全ての街で、地域のバドミントンサークルに顔を出していました。
正直そんなに上手な方ではないんですが、そんなのはどうでもいいんですね。一緒にスポーツやってると嫌でも仲良くなりますし、時々サークル単位で飲み会もありますし。
教員という身分を気にせずに自分を表現できる数少ない場所になってくれます。
これはツイッターでフォローしている先生のツイート。
6月の始まりは200本シューティングから。
フリーでドリブルを突いてると
「おぉ!!Runも踊れるじゃないか!」と人が寄ってくるように。
そして勝手にバスケが流行りだした。
3枚目はボール回しに笑顔を見せる5歳。
バスケが世界を繋いでます✌ pic.twitter.com/Ydybj838Ks
— Run@ザンビア無職教師 (@zambian_run) 2018年6月1日
この人もなかなか面白い環境で教員やっています。スポーツが人とのつながりを作っているようですね。
競技の腕前そのものは関係ありません。というかスポーツじゃなくてもいいような気もします。
自分が好きな趣味や特技を街の中で表現すれば、それを通して他業種の人とも繋がれるようになりますよ。
少年団活動を持っていた
若い先生にはわりと少年団のお誘いが来ます。自分はそれを大体受けていました。
本格的に受けたのはクロスカントリースキー、合唱団の2つ。
他にもプール指導やバドミントン指導、スキー指導なんかもやっていましたが、ここではエピソード的に強いクロカンと合唱の二つを体験談にします。
クロスカントリースキー少年団
クロスカントリースキー少年団を受けたのはまだ22歳の頃。
赴任した学校の児童の半数以上が所属しているような少年団で、子ども達は冬になると毎日広い雪原を専用の細いスキー板で走り回っていました。
自分はクロスカントリースキーという競技すら知らない素人でしたが、子ども達が受ける指導を盗み聞きしながら一緒に上達するような感じで子ども達と一緒に走り回りました。
土日には時々大会もあり、そこにも引率の一人としてついていっては頑張る選手を応援していました。
保護者との距離はすごく近くなりましたし、何より子ども達との関係性を強く保つことができました。
結構な時間はとられましたが、参加した価値はあったと思います。
教員を辞めた今も、当時の保護者の一部とは時々連絡を取り合っています。
最近は成人した当時の子ども達からもSNSで連絡が来るようになりました。
合唱団
別の小学校での体験です。クロスカントリースキーと同じく、自分は合唱についても完全な素人。必死に勉強しながら指揮者兼指導者を務めました。
前任者だった中学校の音楽の先生が転勤でいなくなってしまい、事務局のお母さんがあろうことか自分に白羽の矢を立てたのが始まり。
当時自分はそのお母さんの娘さんの担任をしていて、音楽の授業がやたら楽しいと娘から聞いたお母さんが「これだ!」と話を持ち掛けてきたという流れです。
かなり勉強しました。
もちろんインプットは本から。合唱に関わる本を読み漁り、インプットした知識をもとにどうにか指導をする。
とは言っても所詮付け焼刃。
結局指揮者として専門的な指導を行うというよりは小学校の音楽の授業の延長のような指導になっていました。
はたしてその指導が子どもにはウケたようで、日に日に低学年が増えていったんですね。
結局低学年がやたらと増えて、合唱団というよりは週一回の音楽学童保育のようなよくわからない雰囲気になりました。
もちろんしっかり歌は練習しましたよ?
合唱団の活動を通して、やはり子供や保護者と良い関係を作ることができました。
新年度になって新しい学級の担任をする時も子どもは顔なじみですし、保護者が協力してくれるのがありがたかったです。
少年団活動を趣味にできるかどうか
少年団活動は、その活動に参加する分仕事の時間が後ろに押します。
自分の場合、少年団活動は教員としてではなく村の若者として参加するぐらいの意識だったので、そこまで負担には感じていませんでした。
趣味のようなものです。
そう、少年団活動はそれを趣味と捉えられるかどうかが判断基準ですね。
地域に溶け込む強力な手段になりえますが、少年団活動を仕事と捉えてしまい負担を感じてしまうケースもあるので、よく考えてから話を受けると良いと思います。
地域の行事に参加していた
地域のおまつり、地域のごみ拾い。そういう行事にはとりあえず顔を出していました。
別に実行側として行事に参画する必要はないんです。ただ顔を出すだけでも十分。
繰り返し参加していると、いつの間にか顔と名前を憶えられています。
小学校の先生は何かと仕事で地域とつながりますからね。そういう時に自分を知ってもらえているとすごく仕事がやりやすいですよ。
「あーあんたか!いいよいいよ社会科見学おいでよ!」
みたいな感じでスムーズに地域素材の教材化ができます。
中には男の料理教室に参加させられたなんてのもあったなぁ。左手で包丁を使ってたらおばあちゃんに説教されたのは良い思い出です。いまだに腹たちますねあれは。左手で包丁使って何が悪いんだ!?
ああいう世代はさっさと滅びて欲しいですね。
臨時採用教員仲間とフィーバーしていた
これは皆さんもやってるんじゃないでしょうか。
研究会やら何やらで臨時採用教員を見つけたら速攻でつながりましょう。
臨時採用教員は皆流れ者。
新しい土地に来たばかりの若者がほとんどで、みんな寂しいんです。
話せばすぐに打ち解けられます。
臨時採用教員で集まって酒でも飲めば、臨時にしかわからない苦労話がわんさか出てきて楽しいですよ。
普段から遊べる仲間になります。
ぜひほかの臨時採用教員とはつながっておきましょう。
受け持った子ども達に筋を通していた
田舎町では教員の噂はすぐに広まります。
つまり、子ども達にとって良い先生であれば、その噂もすぐ広まるということです。
教員の技術はトライ&エラー、インプットとアウトプットの繰り返しですぐに身につきます。
子ども達に無礼な振る舞いはしないようにしたいなぁと願って行動していれば、最低限の知識技術はすぐに会得できますよ。
子ども達の人権を尊重して普段から接していれば、その姿は子どもから親へ、親から地域へすぐに広まります。
その噂は自分が地域に溶け込もうとするのを力強く後押ししてくれます。
普段から子ども達を怒鳴り散らしている人は残念ながら地域からは村八分。
「先生いつもお世話になってます」とあいさつされた5秒後には後ろ指さされてますよ。
自分たちは専門職の教員ですから、子ども達は怒鳴るんじゃなく技術と関係性で動かしましょう。
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→小学校教員の仕事術を教えてくれた先輩教師達の言葉
終わりに
自分は田舎回りが多かったので、田舎町への馴染み方の話が多くなりました。
田舎教員はやり方次第でかなり楽しい生き方になりますよ。
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