大人のADHDの特徴とその体験談

ADHDについて、自分は今まで多くの本を読んできました。講演にも何度も参加してきました。知ろう知ろうと思うあまり、間違って同じ本をもう一度買ってしまったこともありました。

飽きっぽい自分がなぜこの分野に関しては情報収集に没頭できているのか?

理由は二つあります。
一つは仕事で扱う知識であること。
そしてもう一つは、自分自身をADHDだと疑っているからです。

自分は子供の頃から生きづらさを感じてきました。何とか大学卒業まで人生を進めることができましたが、社会人になって以降その辛さは強まり、30代に入ってから今に至るまでは、いよいよ限界を感じています。

このブログの発達障害カテゴリでは、どうにか幸せになりたい、楽になりたいと自分がかき集めた情報を少しずつ発信しています。
今回の記事は、その幹となるようなイメージで書きました。

こんなこと、ありませんか?

「かばんや鍵を頻繁に置き忘れる」

「家事や育児が苦手」

「部屋や机がきたない」

「電話が苦手、電話内容をメモすることができない」

「話が聞けない」

「自分の考えを会議などで整理して話せない」

「会話の相手が3人4人と多くなると何を話しているのかわからない」

「スケジュール管理できない、仕事を先延ばしにして締め切りを破る」

 

このページを検索してきた方は、何かしら悩みを抱えていることと思います。
その中で、今羅列した内容にいくつかでも当てはまる方はいませんでしたか?

ちなみに自分はこの全てが当てはまっています。不思議なくらいに当てはまります。

そういう方、いませんか?

これらはADHDと呼ばれる発達障害の特性です。これは病気というよりは脳の特徴とでも呼ぶべきもので、生まれつき備わっているものです。

主に小さい頃、幼児期や学齢期に周囲の気づきで発見・診断されますが、軽度の場合は社会人になるまで発見されない場合があります。

 

大人のADHDと多動性

多動性とは読んで字の通り、多く動いてしまいがちな特徴です。子供と大人では多動性がどのような形で表れるかが違ってきますが、本質は同じです。

座っているのが辛い

特に興味のない、つまらない時間帯において、じっと座っていることにストレスを感じます。そしてそのストレスは「眠くなる」「手いじりなどをする」「貧乏ゆすり」などの行動に出てきます。

必要性を感じない会議や講演の時、学生時代の嫌な先生の授業の時、そんなことはありませんでしたか?これは、「動きたい!」という自分の脳に対し、それらの行動でストレスを緩和して我慢している状態です。

自分はいい大人になった今でも会議で居眠りすることがあります。そうでない時も気づけば足を揺らしたり手で何かをいじっています。しかし、興味深い内容の会議の場合はそういったことが不思議と起こりません。興味次第です。

 

無意味に歩き回ることがある

子供の場合、学校の授業中でも歩き回る子がいます。これもストレスに対する防衛反応なのでしょう。大人の場合、会議中に歩き回る人はいないと思いますが、そうでない比較的自由のきく時間帯に、意味もなく歩き回ることはありませんか?

興味に向かって動き近づき没頭したい自分に対し、社会はそれを許しません。ADHDの脳はそのジレンマにうまく折り合いをつけようとこれらの行動でストレスを発散させています。ですが、会議中のこれらの行動はどれも評価を下げるものばかりです…

 

大人のADHDと衝動性

先の項で体を動かしたい多動性について説明しました。次に説明する衝動性とは、言うならば「脳内の思考の多動性」です。

ADHDは衝動買いが多い

パソコン6台、タブレット2台、デジカメ4台。

これは自分が社会人になってから34歳の今に至るまでに買い集めたPC関連の機器です。当然、これは氷山の一角でPC関連以外にも山のように買い物をしています。その結果、今自分の人生を振り返ってみても、歩いてきた道には貯金も財産もほとんど残っていません

後先考えずにネットでポチってしまう。

吸い込まれるように電気屋へ行き、ウロウロした挙句何かを買ってきてしまう

これは脳が欲求を我慢できない衝動性によるものでしょう。考え過ぎかなぁと楽観することもできますが、いくらなんでも自分はこの状況を自身の気の緩み程度の問題とは考えられません。病的なものを感じます。

 

ADHDは思ったことが口に出る

口にする前に一度考える。それができずに余計なことまで喋り、結果信用を失う。

自分はこれについては今のところ特に極端な行動はとっていないと思っています。でも、思っているだけなのかもしれません。自覚していないだけでなのかもしれません。正直自信は無いです。

 

ADHDは判断が早い(早すぎる)

何か相談された時、すぐに結論を提案します。

たとえそれが人生を左右するレベルの選択だとしても、即決します。

そしてその即決には計画性が伴っていません。感覚に頼った即決です。

先に挙げた衝動買いはこの典型例ですね。独身ならば選択を間違い損をしても自分の過失を自分でかぶるだけですが、家庭がある場合は家族を振り回すことになりかねません。

 

大人のADHDと不注意

自分はこれに最も苦しんでいます。

注意を続ける力、注意を振り分ける力、注意の対象を切り替える力の欠如です。

ADHDはよく置き忘れをする

手に持っていたものをどこかに置いてきてしまいます。例えそれが大切なものであっても。

自分は今まで人に見られてはいけない書類を探しに歩いた道を急いで戻ったことが数えきれないぐらいにあります。

傘、財布、お土産、かばん…。

物を持っている時に何か別の刺激(頼まれごとやひらめき等)が来ると高確率でアウトです。正直辛いです。

 

準備を忘れる、準備をしない

準備しなければならないものを準備しません。基本後回しです。ギリギリになって準備しようとする時もありますが、結局何かしら物を忘れます。自分はいつの間にか、必要なものは現地で揃えるようになりました。例えば何かの筆記試験であっても当日会場近くのコンビニで鉛筆消しゴムを買います。馬鹿みたいな話です。でも切実な話です。

 

ADHDと先延ばし

面倒な仕事、必要性を感じられない仕事、苦手な仕事を先延ばしにします。自分の性格がダメ人間なだけなんだろうと、締め切りを過ぎる度に自分の頭を殴っています。自分のことが嫌いになります。

これについては、ADHD向けの薬を飲むようになって締め切り破りが劇的に減った方が大勢いらっしゃると聞いています。子供でもぱったりと宿題を忘れなくなった子がいます。自分もそうなれるのならなりたい…

 

話し合いの内容が入ってこない

生きている限り、他者となにかしら会話をしながら人生は進みます。ですが、その会話の内容が入ってきません。特に長い話をしてくる人は天敵です。自分の職場にも一人話の長い人がいますが、その人が親切心でしてくれる話はほとんどが自分の中に残りません。結局「あの時言ったことやってくれた?」「まだです」という結果に終わります。

話が長い場合、最後の結論だけを聞くようにしていますが、結論が途中と最後に何個もあるような話になると、最後の一つ以外は大体忘れます。メモを取ろうにも、次に入ってくる話の続きと重なり思考がぐちゃぐちゃになってろくにメモが取れません。

ちなみに、自分の場合は話を聞いている間、その人の周りの景色や聞こえてくる雑音に意識を奪われる感覚があります。そういうものなのでしょうか。

ADHDと汚部屋

足の踏み場もないレベルまでいきます。これも先延ばしの一種なのでしょうか。自分は男なのである程度散らかっている程度の部屋に違和感はもちませんが、いくらなんでも限度はあります。本当に床が見えなくなります。

これについては、片付けてはまたすぐに汚部屋化を繰り返した結果たどりついた境地を以前記事にしました。ADHDは工夫次第、環境調整次第である程度生きづらさを改善できるのだと気付いたのがこの一件です。興味があればどうぞ。

ADHDの片付け苦手な特性がミニマリスト思考に救われた体験談
ADHD傾向の強い人は管理できるものの量が極めて少ないのではないかという仮説のもと、ミニマリスト生活を実践したことによって部屋がまともになった話。

以上、今の時点で自分が理解しているADHDの特徴と自身の失敗談でした。

 

大人のADHDは生きるのがつらい

子供の頃にADHDと診断され適切な療育や投薬を受けた方は、ある程度自分に自信をもって人生を送ることができていると思います。

が、大人になるまでADHDを発見されることも自覚することもなく生きてきた人間は、自信を著しく失っています。理由はADHD特有の行動が多くの失敗を生み、その積み重ねで自分の能力や判断に対する信頼を自分自身が完全に失い失望しているからです。

大人のADHDは自己肯定感が低い場合が多い

「自分にもやれる」「あの時うまくいった、次もいける」

人が幸せに生きていくうえで必要な思考です。自己肯定感といいます。

突然漫画の話になりますが、HUNTER×HUNTERという漫画を知っていますか?

この作品に、キルアという少年とその兄イルミという2人が登場します。キルアは優秀な殺し屋の能力を持っていますが、ここぞというチャンスで無意識に逃げを選んでしまうクセがありました。

キルアのこのクセは、イルミがキルアの頭に刺しこんでいた一本の針が原因でした。イルミは弟を溺愛するあまり、針で人を操るという自分の能力を使い、キルアが「一か八かの時に必ず逃げを選ぶ」ようこっそりとキルアの頭に針を刺していたのです。

自己肯定感の低い人間は、いわば針が刺さったキルアのような状態です。何をするにしても、「自分の判断はきっと間違っている」「次もだめだ」「ほらまただめだった」「失敗するぐらいならなにもしない」と、呪いのような言葉に脳内を支配されます。

無力感に包まれ、自己嫌悪に陥り、失敗があまりにも重なり「うつ病」を患うADHDの方も少なくありません。

自分も、会議で何か発言することがいつからか無くなりました。自分の意見はきっと間違っているという意識からです。

キルアは作中で針の存在に気付き、自分の手で針を抜きましたが、ADHDに刺さった「自己肯定感の低さ」という針は抜けるのでしょうか。

 

大人のADHDと向き合う

先日、メンタルクリニックに行ってきました。自分は果たしてADHDなのか、だとしたらどう生きればいいのか。嫁が背中を押してくれたこともあり、長年悩み続けていきた自分の脳と向き合おうと思いました。

結局、朝一番の受診に間に合わず、その日の新患受付は規定の人数に達してしまっており、受診は叶いませんでした。相変わらず予定を遂行できませんね。でも、近日中に必ず受診します。

ADHD疑惑と向き合う第一歩は、メンタルクリニックの受診です。自分はそれすら決断できずにここまで先延ばしにしてきましたが、ADHDだとしても違ったとしても、きっと受診によって何かが変わると思っています。

投薬によって行動が変わることは多くの症例で実証されていますし、専門家と話すことでも心境は少なからず変わっていくと思います。

 

まとめ「大人のADHDを知ってほしい。キーワードは理解と自己肯定感」

最後までこの記事を読まれた方は、きっとご自身か近い知り合いが生きにくさを抱えている、という方でしょう。自分は医者ではないので、この記事の信憑性を大きな声で語ることはできませんが、自分と同じ悩みを持つ方が何かを変えようと思うきっかけになればと思います。

ADHDは天才の脳と言われています。歴史上、新たな時代を切り開いた人物の中にADHDが多く含まれていることが理由です。毎日失敗が多くて嫌になりますが、自分の脳のどこかに天才が埋まっていると信じて明日も生きていきましょう。